小さく語られたそれに、倭は僅かに表情を変えた。
今迄彼の背後で黙っていた妃も、智に問い掛ける。
「…麻薬か?」
大手貿易会社がその裏で国内外の薬物の流通に関与しているといいのは珍しい話ではない。最近では能力者を使ってより秘密裏に密輸を遂行する組織も増えている為、WIZORDや彼等仕事屋に警察から調査依頼が来る事もあるし、実際に何度か取締の現場に立ち会っている。
だが、智はただ首を振ってそれを否定した。
麻薬などではない。
それは もっと厄介なモノ……

まだ何かを躊躇うように、少しの間を置いてから、智は先程よりも大きく、はっきりと告げる。

「オレ達… 人型の魔族を……」
「!!?」
それは、等々力の名を聞いた時とは比べ物にならないだけの衝撃を二人に与えた。

“自分は魔族である”と…彼は確かにそう言ったのだ。
未だ表情を強張らせたままの倭と妃に、智は話を進めていく。
全ての 事件の始まりを…。

「五年前、人間とオレ達魔族との間に、政府とWIZORD立会いの下で共存協定が結ばれて以来、無闇に人間と会ってしまったり能力者と接触しない為にオレ達は市外の山中で暮らしてきたんです…」
一部の魔族がそれ迄人間に与えてきた害が、全ての魔族のイメージとなって人々の中に刻まれている以上、共存協定を締結した所で易々と現状が変わるわけではない。その為に魔族達は、無益な争いを避け人里を少し離れた山中で生活を送ってきた。
何に脅かされる事もなく、ただ幸せに、平和に…。
だが、
そんな平穏な生活が一変したのは数日前。

普段と同様、親子連れの魔族達が陽当たりの良い広場で過ごしていた時、不意に耳慣れない音が響いてきた。
黒い車、その後ろに数台のトラック。音はそれらのブレーキ音だった。
次にザワザワと人間達の声が届いてくる。
“居たぞ”“あの木陰にも隠れてる”大柄の男達が口々に言う中、黒い車から降りてきた50代程の小柄な男は、傍らに自らの秘書を引き連れ、下卑た表情で口の端をあげると、男達へと指令を下した。
「一匹残らず捕えろ。決して逃がすなよ。コイツらは貴重な商品だからな」
その言葉と共に、男達は魔族の森へと侵入して行った。彼等は山を包囲し、人型の魔族を捕え始めたのだ。

「成程な…」
語られた真実に、倭は表情を歪める。
大企業の裏の顔は、政府に保護指定をされている稀少魔族の密輸商。
「確かに魔族の領域なら政府の目も届かない…君の居た山はまだWIZORDの勢力外だったんだろう。絶好の狩り場だな」
倭の言葉に、小さく頷く。
「人型に近い魔族程稀少価値が高いからって、一番狙われ易いオレだけ仲間の手助けでなんとか逃げてこれたんだ…」
智が続けた内容に、心中で納得した。
魔力を抑えているせいもあり、ほぼ人間と外見の変わらない智は、倭達でさえ魔族と気付けない程だ。実際、大抵の人型魔族は、その魔が属する動物の耳や尾があったり、牙が生えていたりという目印的特徴を持つ為、それに該当しない智を魔族と判断する事が出来なかったのだ。
(辛うじて瞳だけが人間とは違うけど…ここ迄完全なら一度人間の中に入りゃ殆ど気付かれずにすむレベルだな…)
黄緑がかった黄色の、縦に長い瞳孔をしたその瞳だけが、智が魔族である事を物語っていた。
彼の瞳を見詰め考えを巡らせていた倭に、智はその目を悲しげに細める。

「街に着いた時、ニュースであの男を見て…等々力の社長って知った…。今もっ…今も仲間が沢山捕まってるかもしれない。見つからないように隠れてはいるけど、等々力が能力者を送り込んできたらいつ迄逃げてられるか解らないんだ。捕まって…何処かに売られて殺されてるかもしれない」
ただ、魔族というだけで…
自分を助けてくれた仲間達が酷い目に遭わされていると思うと、平静ではいられない。
瞳の奥が熱くなるのを堪えて、智は訴えるように声を絞り出した。
「早くなんとかしなきゃ、オレ達は全滅するかもしれないんだ…。条約もある…オレ達は能力者じゃない人間に手を出す事は許されない…これ以上人も魔も傷つけあいたくない……だからお願いっ!何でもするからっだから皆を助けて!!」
深く、深く頭を下げる智の姿に、少しの沈黙が部屋を包む。

もう、手段はない。
望みは、ここしかない…。
そう思い、頭を下げたまま瞳を強く瞑っていた彼に、沈黙を破って降り懸かってきたのは妃の声で…。
「悪いけど…」
普段よりも低い…昏い声での言葉。
「お前の話以外にろくな証拠もねーのにどうこう出来るレベルじゃねーよ」
冷たく言い捨てるような妃に、智は動く事も出来なかった。
道が、閉ざされた気がして…
「大体、そこ迄デカイ事件なら俺達なんかより直接政府に行けば良いじゃ…」
「良いよ」
「!?」
無言のままの智に続けられた妃の声は、突然割り込んできた短い言葉により途切れてしまった。
すぐ側から聞こえたそれに、妃はそれ以上何も言えなくなる。倭の言葉を彼が理解するよりも先に、もう一度智を見据えて続けた。
「この依頼、請けてあげるよ」
「本当!?」
絶望の淵に居る状態だった智にとっては、神の救いのような一言。その顔を上げて問い掛ける彼に、倭はにっこりと笑ってみせる。
「ああ、ちゃんと等々力グループを止めてあげるよ」
「倭!!」
漸く言葉を取り戻した妃の制止も軽く流し、倭は愛想の良い笑顔を保つ。
「保護指定されてる魔族の密輸を暴いたら政府から金も貰えるわけだし、それこそ証拠がない段階じゃWIZORDもなかなか動いてくれないさ。その為の仕事屋だろ…?。智くん、逃げてきたんなら行く場所もないだろう?この件が終了する迄、うちでゆっくりしてて良いよ?」
何かを言おうとするものの、何を言えば良いのか解らない。話を進めてしまう倭の隣で、内心混乱状態の妃は、最早決定してしまったその事態にただ倭を睨み付けるしかない。
「有り難うっ」
倭の言葉に、心の底から安心したように笑顔を取り戻した智が、彼等に深く頭を下げた時点で、この件は須堂万店の担当事件となった。